「ただの警備員に何の御用ですか、“グラス・マートン”さん?」
にっこりと。
それはもうにっこりと。
僕は後半部の名前を特に強調しながら、皮肉たっぷりに言い放った。
17.作戦変更
「よ、呼び出し?」
それは時計が十一時を指した時の事だった。オークションの前半部も終わり、十数分後に後半部が始まる頃合である。
「おうっ!帰る途中に呼び止められてな?」
スッキリした表情ながらも、チラリと探るかのようにフィルアスに視線を向けるクロウの言葉に、リョウは驚きを覚えると同時に、嫌な予感がよぎった。
あれだけスッキリとした表情のクロウから察するところ、恐らく、放送室への怒鳴り込みは成功したのだろうとリョウは思った。
「僕だけ?」
「みたいだぜ?事の起こりは放送室に乗り込んだ帰りの事なんだけどな。」
「……いや、本当に乗り込んだわけ?」
「まぁな!奴等、モニターチェックもせずに寝てやがったんだぜ!?」
“何の為の警備員だよ”とクロウは吐き捨てるように言う。
「…っと、それよりも呼び出しだったな。」
そして、そこで思い出したように話の路線を戻した。
「……えーと、それって間違いなく僕?」
恐る恐るというように尋ねる。呼び出しをされる人物にリョウはたった一つだけ心当たりはあったのだが。
「俺と同じぐらいの年っつってたし、お前だろ。」
「そ、そう――」
「あ、そういや名前言ってたぜ?確か―――」
「――ああ、マートンだ!“グラス・マートン!!”」
で、この状況に戻るわけである。
いきなりの呼び出しだ。貼り付けたような笑みを浮かべたリョウの言葉に、小さな皮肉にも動じないと言うように、テッドはカラカラと笑う。
「その通り。わざわざ悪かったなぁ、仕事中に。」
そんなつもりはないのであろうが、その笑いがこちらへの皮肉に見えて、リョウのイライラが呆れに変わるのにそう時間はかからなかった。
「ホントですよ、マートンさん。」
大きく溜息をつく。
もう少しでオークションの後半が始まる。会場に繋がるこの広いロビーにいる人はまばらだった。多くが短い時間に席を立つ気はないのだろう。
「悪いって。状況が変わってな。時間もねぇし、簡潔にいくぜ?」
そんな中で向けられた言葉。その言葉にリョウは少し顔色を変えた。口調こそ、つい先程までと同じく軽いものの、サングラス越しにのぞける深紅の瞳が真剣そのものだったからである。
しかし、リョウには既にその理由に見当はついていた。
「―――例の、司会者のことですか?」
丁寧な口調を崩さぬままに尋ね返す。
そう、スピーカーから流れたレオンと思われる司会者の声についてだ。リョウの言葉にテッドは刹那、驚きの色を顔ににじませたが、すぐに、面白いとでも言いたげに口の端を吊り上げた。
「知ってんなら、話は早い。ご察しの通り―――」
そこまで言うと、一度言葉を切って、リョウの耳に顔をよせた。
「レオンだ。奴が主催の関係者側にいる。」
耳元で声をひそめる。
傍から見れば金持ちの青年が警備員といるという、少し珍しい光景ではあるが、今、このロビーにはそんなものを気にする余裕のあるものなど居なかった。
ただでさえ人も少ないうえ、居るものは皆が思い思いの競売品の余韻を貪る事で精一杯なのだ。
「だが、お前は作戦通りに動け。いいな?」
そんな余韻と微かなざわめきに満ちたロビーで、テッドは声をひそめたまま続ける。
「特に支障はねぇと踏んだ。俺の方も上手くやれるだろ。」
リョウは、一度小さく頷く。
「けどな、ココで一つ予定変更だ。」
「……変更?」
「あぁ、行動開始を遅らせる。後半終了の二十分前に俺がそっちへ動く。他の方も、万事そっちで手はうってるから安心しろ。今から約十五分間程度は、あの部屋には誰にも近づかねえはずだ。最低でも、俺が動く前に――つまり、十一時三十五までに、ちゃんと盗んどけよ。待ち合わせは十一時四十五分。例の場所でな。」
その言葉にリョウは少し戸惑った。
――テッドの本意が分からない。何故、標的が公開される裏オークションのギリギリまで行動開始を遅らせるのか?だが、その疑問は尋ねることも、ましてや口にすることも出来なかった。
『―――まもなく、後半が開始されます、お客様は速やかに席におつき下さい。』
柔らかな声がオークションの開始をスピーカー越しに告げたからだ。
「まぁ、そんな訳だ。上手くやれよ、警備員。」
「なっ!オイ!ちょっと……!!」
それを聞いて、テッドは足早にホールへのドアへ向かう。
リョウは慌てて静止の言葉をかけたが、それは虚しく中に消えた。
テッドはそんな静止に気付かなかったのか、はたまた故意に無視したのか、恐らく後者であろうが、どちらにしろ自分の言葉に反応しなかった彼が足早に姿を消したホールへの扉をみつめて、リョウは何ともいえないような感情に襲われた。
尋ねる対象が尋ねる前に姿を消してしまったために生まれたもどかしさと、その原因を作った人物に対する呆れが入り混じったような妙な感情。
だが、それも何時もの事だと半ば言い聞かせるようにして、そんな感情を振り払うようにリョウは大きな唾のついた帽子を深く被りなおして、静寂に包まれた無駄に派手なロビーに小さく溜息を残すと、ゆったりとした歩調でそこを後にするのだった。
BACK / TOP / NEXT