あの女――ッ!!
俺は心の中でそう呟くと同時に、自分の目と耳と記憶力を疑った。
15.ceiling price
『レディース&ジェントルマン。大変長らくお待たせいたしました。』
凛とした声がマイクとスピーカーを通してホールに響き渡る。その声を合図とするかのように、パッと照明が落ちて、人々の話し声でザワついていたホールがシンッと静まり返った。
「………。」
そんな最中、テッドはズレたサングラスを戻そうともせずに呆然としていた。聞き覚えはある声だ。さて誰の声だったかは―――思い出したくない。
「まさか、な。聞き違いだよな。」
慰みにそんなことを言ってみても、ただ虚しいだけだった。皮肉なことに記憶力ならば無駄に自信がある。そして、呟いたと同時にその記憶力のよさは早くも実証されることとなる。
目の前のステージに一筋の光が射した。
「――俺、何かしたか?」
口から、自然と絶望と失望の入り混じった声がもれた。ガックリと落ち込んだように頭に手をやる。
数秒間その姿勢で固まっていたが、とりあえず意を決してステージを見れば、スポットライトに照らされたのは美しい金髪。それに映えるような真っ黒なドレスが、彼女の美しさを更に際立たせていた。
そう、ステージに立っているのは紛れも無く、レオン・ティラード本人。
認めたくはない現実に、ただ大きく溜息をつくしかなかった。
「……だから、競売資料の一つや二つは軽いってか?」
あの女狐が無償で競売資料を俺にくれてやったのには、こういう裏があったわけだ。テッドはそう思った。
だが、落ち込んでいたってどうにかなる訳じゃない。はっきり言って彼女が出てきたという事は状況は良くないのだ。いつ、邪魔されるとも分からない。
テッドはそう思い直して、突然の出来事に混乱した頭を軽くふると、進みゆくオークションを見つめて、考えをまとめはじめた。
『まず、アイツの狙いだ。アイツが目的ナシに司会をやるなんて考えられねぇ。』
ステージの上に出てきたのはアンティーク物の椅子。珍しい物らしく、どんどんと高値がついていく。
『次に、その狙いが俺たちに害を成すか成さないか―――』
――それが何よりも問題点だな。
まるで品定めをするかのように商品を見ながら、頭の中では全く違う事を考える。そんな思考をめぐらせている間に、その椅子は二十五万で落札された。
『もしも、軍に俺等を売ろうとしているのだったら――』
実際、“双頭の鷲”や“赤眼の狼”という異名は、相当なお尋ね者として扱われている。だが、その外見や――特にリョウは――年齢から、素性を知る者は少ない。だから、軍部の奴等も血眼になって“双頭の鷲”と“赤眼の狼”を探しているのはテッドにとって周知の事実。
つまり、レオンが弾んだ懸賞金の為に自分たちを売るという事も考えられなくはない。
情報屋と客の間には協力関係が成り立っているようにも見えるが、それは自分への利益がお互いに伴ってこその事。自分の利益の為に、客を切り捨ててはいけないというルールなど、ありはしないのだ。
『でも、その線は結構薄いんだよな…。』
椅子が落札された事により、一旦どよめきはおさまる。耳から入ってくる雑音が減った事により、テッドは先ほどよりも冷静に思考をめぐらせた。
――そう、客を売ってはいけないというルールは無くとも、レオンが自分達を売った可能性は低い。
何故なら、レオンは自分自身の存在を前もって自分に知らせ、幸運を祈るとまで言っているから。自分たちを切り捨てるつもりなのであれば、普通はターゲットの前に姿を現したりはしないだろう。
情報屋が幾ら切り捨てることがルール違反じゃないとしても、その行為は他の客への信頼さえも損なう。
それならば、切捨てはせめて自分だとわからないように行うのが妥当だ。これだけでは、流石に説得力に欠けるかもしれないが、テッドには直感とでもいうべき確信があった。あの女狐は、全てを計算して動くのだから。
「だとしたら、俺等を売ろうとしている路線は除去か。」
わあぁぁ!!と広がるどよめきに、テッドの呟きは掻き消された。
今度は、薄暗い中で唯一光を放っているステージの上に大きなスクリーン幕が下りる。レオンはその幕の前に立つと、慣れた手つきでその説明をしはじめた。
パッという音と光と共にスクリーンに美しい風景がうつし出された。さしずめ、どこかのリゾート地であろう。ホテル経営者が喜びそうな土地だ。
『だとしたら、レオンの狙いは何だ――?』
――アイツが何の企みもナシに、こんな事やってるとは思えねぇし。
ステージ上で競売されているリゾート地ではなく、その説明をしているレオンを探るように見つめる。
『アイツは情報屋だ。だとしたら、目的は金より情報―――』
何処かの大企業の社長が“ 一億!!”と声を張り上げる。すると、幾らかの値を叫んでいた声がやんだ。
『リョウについて?それとも俺か?』
そして結局、そのリゾート地を落札したのはその社長であった。胸にキラリと光る小さなバッチから、何かの娯楽施設の会社であることが読み取れる。テッドは一応、チラリとその男を確認するように見て、また視線をステージに戻した。
―――大体、何で俺らに成功してほしいんだ?
彼女は明らかに『成功を祈る』と言っていた。だが、司会をつとめるまでにこの行事に関わっているのだ。
だとすれば、自分たちがこの作戦を成功させてこのオークションを失脚させる事は彼女にとってもマズイはず。彼女にとってマズイ事が起こるというのが分かれば、彼女は手段を問わずにソレを阻止するだろう。短い付き合い―――否、以前に付き合いというより関わりでしか無い仲であるが、テッドにはそれが嫌というほどに分かっていた。
『脅しでも、何でもやりやがるだろうな。』
頭の片隅でレオンがそれを実行するという恐ろしい光景を思い浮かべながら、思考を一旦休めて、テッドは大きく溜息をついた。
そう、彼女なら全力で自分の必要のないものを排除するだろう。
「――さて、次の商品に参りましょうか。」
途端。凛としたレオンの声が響く。
「――ココに置かれるのは淡く輝く緑の宝石のはめ込まれた指輪。」
ステージ端から、キャスターに乗せられた黒い布をかけられた何かが登場する。レオンはゆっくりとその布を掴むと、再びマイクに口をあてた。
「戦乱の続く前に、一国の王から賜ったという『龍の瞳』の登場です…!」
高らかであり、抑揚のあるレオンの声がホールに響き渡る。明らかに作った声だが、確かに人をひきつける力はあった。
そして、その言葉を皮切りとするかのように、会場が一斉にザワザワと揺れた。
「思いっきり盗難品じゃねぇか。 まぁ、本物だとしても時効は過ぎてっけど。」
テッドが呆れたように呟いた。登場したのは何十年前かに、失踪したといわれている代物。
「さて、この『龍の瞳』ですが、その国王は指輪で国を救ったとか――平たく言ってしまえば、これの美しさで人を魅了して“トカゲの尻尾切り”を成功させた、という事なのだそうですが。――さて、前置きはこれ位に百万から参りましょうか!!」
そのレオンの言葉が言い終わるか、言い終わらないかのうちに、幾つもの声が重なってホールに反響する。会場に来ている客の熱気もさることながら、その声にもある意味では威圧感というものさえ感じられた。
「うるせぇ…。」
テッドはワザとらしく両手で耳を覆うと、辺りを見渡した。どこもかしこも立ち上がり、大きな声で落札価格を叫ぶものばかりだ。
値段が高くなるにつれて、立っている人の数も心なしか減っているようには見えるのだがそれでも、『龍の瞳』に対する興奮は収まらないのか、辺りはザワついていた。
「大体、トカゲの尻尾切りに使われてたなんて胡散臭いってんだよ。美しさとそれが、どう結びつくのか教えてほしいもんだ。」
ゆっくりと、耳を塞いでいた両手を外す。辺りのザワめきが、序々に治まってはいくが、やはり落札価格を叫ぶ声は続いていた。どんどんと膨らみゆく、その額が一体どこまで膨れ上がるのか。他の者はまるで、それを楽しみにすうかのように息を呑んで見守っているのだった。
『お偉いサンってのは、どうしてこんなのばっかりなんだか。』
今でも孤児が空腹で泣いている反面、此処ではこんな馬鹿げた娯楽が行われている。
呆れたように心の中で呟いた後に、ステージ上をみやる。その時のこと。
「――ッ!?」
―――ふと、レオンと眼があった気がした。ドキリと大きく心臓が跳ねたが、そんなハズは無いと思い直す。きっと他の客でも見たんだろう、と自分を落ち着かせてから、ゆっくりと息をついた。
今は何よりも彼女がココにいる目的を考えなければ。
もしかしたら、自分たちは毒蛇の口の目の前でうろたえているのかもしれないのだから―――
『何の為に――いや、何が目的でこんな面倒な事。』
目の前では、どんどんと値の膨らんでゆく。“龍の瞳”が遥か彼方のステージで輝く。
そして、その輝く宝石の隣では悩みの種が作り笑顔をうかべてその様見ている。辺りの興奮は収まることなくザワめく。
時折、耳に入ってくる声から既に落札価格は五百万を越していることが分かる。だが、そんなことはテッドにとってどうでも良かった。思考をめぐらせる事に集中したいのに、“六百万!!”“七百万!!”という声が自分の意思と関係なく耳にはいるだから、はっきり言って邪魔だ。
少しは黙れ!!と叫びたい衝動を必死に抑えながら、レオンの真意に対しての思考をめぐらせても、頭の中に入ってくるのはレオンの真意ではなく、龍の瞳のことばかり―――
別に、テッド自身が考えているのではなく、聴覚が聞き取ったものを自然と頭へ伝えてしまうのだろうが、今のテッドにとってはそれが邪魔で仕方なかった。
『政治界の秘宝だの、トカゲの尻尾切りだの―――それよりも何よりも少しは黙る事を知りゃあいいのに!』
ふと、テッドの表情が何かに気付いたように一変した。
「トカゲの、尻尾切り――」
真っ直ぐとステージを見据えたままに呟いた言葉は、落札価格を叫ぶ声に掻き消された。だが、その言葉を呟いた後のテッドの表情は不機嫌顔ではなかった。
むしろ、相手の謎かけを解いた時の子供のような、得意満面な表情を浮かべていた。
そう、彼女は邪魔なものは消す性質だ。どんな手をつかっても。
BACK / TOP / NEXT