俺の目の前に、ふわりと香水の匂いのする金髪の髪がちらついた。

ヤバイ、眩暈がしてきた。








12.In bocca al lupo








「な、何でアンタがココにいるんだよ…。」
「あら、別にいいでしょ。私が何処にいようと勝手。」

その女性は綺麗な金髪をなびかせてニヤリと笑った。
その笑顔ですら、この女性が浮かべれば美しいものに見えるのだからたまったものではない。

「に、しても見事な作戦じゃないの?グラス・マートンさん。」
「そりゃ、どーも。」

まるで豪華な映画館のつくりに似たそのホール――まぁ、グランドホールといったところだろう――の椅子に呆れたような表情を浮かべて座っているテッドが目線だけ右に向け、そう返した。

「リョウを警備隊に紛れ込ませて、太陽の涙を盗ませるなんてね。あの子が捕まる危険性が高いんじゃない?」
「アンタがココにいるのが勝手なのと同じようだ。そんなのオレの勝手だろ。」

以前に何で知ってんだよ。 そんな意をこめて、レオンに視線を向ける。だが、レオンの方は知ってか知らずかテッドいわく女狐のように面白そうに笑うだけだった。

「まぁ、しくじらない事を祈ってる。」
「何だよ、お前が人の応援なんて珍しいな?余計に失敗しそうで怖ぇぜ。」
「だって、資料をタダであげておいて失敗なんて言われるのも癪じゃない。」
「…知らねーな。オレが貰ったのは地図だけだぜ?」

テッドは心臓がドキリと跳ねたのを感じたが、それを無視して平然を装う。ここで認めたらおしまいだ。
それを聞きレオンは、冷ややかな瞳でテッドを見た後に、ふっと唇の端をつりあげて笑った。

「ま、別にいいわ。成功してくれれば。」
「……何で成功してくれれば?アンタに利は無いだろ。」

怪訝そうにテッドが言う。レオンは一瞬だけ不思議そうにテッドを見つめてから、すぐにまたニィ、と不敵な笑みを浮かべた。

「知りたい?」

嫣然な笑み。テッドの背筋にこれまでにない寒気が走る。
まるで、獲物を見つけた飢えた虎のような表情に、テッドは口から自然と言葉をこぼした。

「い、いや。遠慮する。」

ギギギと機械音でもなりそうなほどにぎこちない動作でレオンから顔をそらすテッド。少しでも、あの表情を見るのが耐えがたかった。
傍から見れば、美女の笑顔といった所なのであろうが、その笑顔の裏に隠された真意を知る者――例えばリョウやテッド――にとって、それは恐怖以外の何者でもないのだ。

「そう?まぁ、どちらにしろ企業秘密だけれど。」

うふふ、と笑うレオンにテッドは瞳をむけられないままで思った。この女と。
言う気がねぇなら最初ッから言うな、なんて言葉は口に出しては言いたくても言えるはずもなく、心の中に止めておく。
そして、レオンから目線を外したまま分からないように溜息をついた。理不尽だという意と逆らえない自分が情けないという意を込めて。


「あら、そろそろ時間ね。」
「……時間?」

テッドがそれを聞いて不思議そう尋ねると、レオン視線を戻した。人間、幾ら恐ろしいといってもやはり好奇心には勝てないものである。特に、テッドのような人間はその傾向が強い。

「まぁ、色々とあるのよ。」
「それに、知りたかったら金払えってか?」

半ば呆れたような苦笑いを浮かべて、テッドがレオンに向かってそう言い放つ。彼女にそれ以外はありえない。

「それがビジネスでしょ?まぁ、そう言う事だから私は行くわね。」
「あー、はいはい。どうぞ、いってらっしゃい。」

クスリと笑ったレオンの言葉に右手をひらひらと振りながら誠意のない返事を返す。それを見て、レオンはもう一度小さく笑うとテッドに顔を近づけて、そっと耳打ちした。


「―――イン・ボッカ・アル・ルーポ。」


嫣然な笑み。それを間近にうけて、テッドは固まる。その端麗な顔にではなく、耳打ちされた内容に。
微笑みを残して去ってゆく金髪の美女を、テッドは何も言わずに見送った。







「……古代語(ラテン)?」

目を細めて不思議そうに呟く。耳打ちされた言葉には覚えがあった。確か古代(ラテン)語だ。

「幸運を祈る…か。」

そして、先ほど言われた古代語の言葉の意味を思い出して、サングラス越しに既に姿の消えたレオンの去っていった方を睨むように見ながらポツリと言葉をこぼす。
しかし、もう一つの意味を思い出してふっと苦笑いを浮かべた。

『――狼に食べられないように気をつけてなら、オレに対しての嫌味か?』

そして、大きく溜息をついた後に頭に手をやってクシャクシャの自分の髪を掻き乱した。謎のとけない苛立ちは、彼女と対峙するたびに必ずついてくる。

『――何を考えてやがるんだよ、あの女。』

この心の中で呟いた疑問に答えを返すものは、レオンはおろか、この場内に誰としているはずもなかった。








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