ふわりと柔らかな日差しが差し込む。カーテンをひく音が聞こえる。

微かに鼻腔をくすぐる朝の香りに、僕は、ゆっくりとまぶたを開いた。










7.横道










「………。」

リョウは絶句した。カーテンから差し込む朝日、爽やかな朝の香り、鳥のさえずりまでもが聞こえる素晴らしい朝だった。
しかし、今この時に目の前にいる人物は、リョウの思考回路を凍結させるのに十分な威力を、持っていた。

「よう。お目覚めか?」
「あぁ、おはよ――って!!何で、アンタが此処に居るんだよっ!?」

勢い良く毛布をはね飛ばして、起き上がると共に大声で叫んだ。そんなリョウを見て、テッドは口元を抑える。はっきり言って笑いを隠すのに必死という感じで、その肩は小刻みに震えている。
その行動に、リョウはカチンときた。人の寝起きを見ておいて、一体何という反応だ。いや、こいつの反応がいけ好かないのは随分と前からのことではあったが―――

「大体っ!!何時からいたんだよ、このバカテッドっ!」

まだ、寝起きの所為で頭が上手くまわらない。クシャクシャと頭をかきながら、頭の中を整理するかのように何かブツブツ呟いて、リョウは洗面所へと姿を消した。




朝から、いいものをみた。
テッド・ベルスティーは堪えきれていない笑いを必死に堪えながら、そう思った。

「あんまりにも起きてこねぇんで起こしに来てやったんだけど?」

洗面所の方へ、大き目の声でそう投げかけて、口元に手をやって笑う。
そんな声が洗面所まで届いているだろう。リョウが小さく悪態をついている姿がいとも簡単に想像できた。 安易にそれが想像できたことに、テッドは笑いがまたこみ上げてくるのを感じた。ああ、笑いを押し込めなければ。出てきてから、また笑って機嫌を損ねぬように。



「起こしてくれたんだっけ?そりゃ、どーも。」

少しして、皮肉のたっぷりの言葉が耳に届く。もちろん、皮肉がたっぷり詰まっていることはお見通しなのだが、何よりテッドは性格が悪い。それが今のリョウにとっての精一杯の抵抗だというのが分かっているのだから、返すのはもちろん軽い言葉。

「どーいたしまして。起きてもらわないと困るのはこっちだけどな。」

顔をあらって、手早く用意をすませたらしいリョウに笑いかける。コートも羽織って、既に出て行く準備は万端なようだ。テッドも、近くに置いておいたコートを手に取った。

「強制的に仕事手伝わせようとしてるくせに何だよ。ほら、行くなら早く行こう?」

リョウは不機嫌そうに言って、ドアに手をかけた。
―――マジで思考回路単純で読みやすい奴だな、コイツ。
恐らく皮肉が通じなかった事で不機嫌さが増したかと、口の端に笑みをつくる。
そんなテッドに対して、リョウはふり返るとまたもや不機嫌そうにテッドをせかす。その行動は遅れたら大変だというよりも、早く行ってさっさと終わらせたい。そんな気持ちからである事はテッドにもすぐに分かったが、それでも行こうとしてくれているだけ大分マシだ。

「そうだな。」

リョウの気が変わらないうちにと自分もコートを羽織ると、まだ肌寒い町へと一歩を踏み出した。











「で、結局出てきたけどさ。仕事は何時から?」

そこはリョウの店のある入り組んだ路地から、少し出たところにある街中。
すれ違う人々の中には仕事中なのか、せわしなく動いてる人も居れば、ゆっくりと店を見てまわっている人、子供をつれて歩いている母親とさまざまだ。
そのなかでリョウはふと、隣を歩いているテッドに問いかけた。

「仕事自体は、十時半。」
「ふーん。後、三十分ぐらいだけど間に合うの?」

自分の手首についている腕時計がテッドに見えるように腕を上げる。その腕時計はそろそろ十時を指そうとしていた。
リョウにとって彼が仕事に遅れようが遅れまいが、どうでもいい。むしろ、遅れてつぶれてしまえば万々歳だとさえ思っていた。
しかし、そんなリョウの淡い期待をブチ壊して、テッドは慌てた様子も無く言った。

「違ぇっての。十時半は十時半でも、夜の十時半だ。」
「……は?」

リョウは驚いて、急に足を止めた。
テッドは数歩進んだ後、一向に歩きはじめる様子の無いリョウに気づいて、何があったのかと不思議そうに後ろをふり返った。

「何だよ、どうかしたのか?」
「夜の十時半って、言ったよな?」
「あぁ、言ったぜ?それがどうかし――」
「するに決まってんだろ!?だったら何でこんなに早く出るのさ!?」

よく見ろこれを!この時刻を!とでも言わんばかりにビシィ!と腕時計を指差してリョウが叫んだ。
その勢いにまかせた叫び声は結構大きいものだったらしく、二人の周りをすれ違う人々の中にはふり返ってリョウを見て、くすくすと笑うものもいた。

「バーカ。」

呆れたように、小馬鹿にしたようにテッドが言う。だが、確かにその口元は笑っている。
リョウは恥ずかしさで一気に顔が赤くなっていくのを自覚した。そして、何事も無かったように少し俯いてスタスタと進むリョウの後ろを、テッドが面白そうに笑いながら追いかけた。

「お前さ、ホンットにバカだよな?」
「うっさい。バカはそっちだ、バカテッド」

“元はといえばお前の所為だろ!!”と叫びたいのを必死に抑え、足をとめずにスタスタと前へ進み続ける。
後ろで、未だに小さくテッドが笑っているのが分かって、リョウは更に歩調を速めた。



「おい、ストップ、ストップ。」
「うぎゃ!?」

歩調を速めてから少ししたとき、リョウは急に後ろに引っ張られた。驚いて、後ろを見ればテッドが自分のコートの襟首を引っつかんでいるのだとわかった。

「……変な声。」
「余計なお世話だよ。」

声のボリュームを下げて、低く強くリョウが凄んだ。そして、襟首を掴んだままのテッドを睨んでその手をはらう。

「一体、何なんだよ?人をネコみたいに扱いやがって――」
「お前の場合はどっちかっつーと、犬だろ。」
「そんな事は、今はどーでもいいだろ!!」

そういうことを言っているわけじゃない!とリョウがテッドに向かって叫ぶ。
だが、幸いな事に先程のように周りにほとんど人は居なかった。さっきまで怒りにまかせて歩いていたので気づかなかったが、先ほどいた繁華街の賑わいとはうってかわって、此処には寂しげな静寂があった。

「まぁ、そんながなるなっての。寄る所あるんだよ、ほら行くぞ?」

テッドはそう言うと、真っ直ぐ進むのではなく、家々の間の薄暗い横道へと入っていった。

「い、おい。何処行くんだよ…!!」

リョウがそれを見て慌てた様子で横道へと入っていく。そこは人が楽々一人通れる位の通路だったが、中へ進むにつれて狭くなり、もっと先へ行くにつれて少し広くなっていった。
そして、どんどん進んでいくテッドの後ろをリョウが追いかければ、その前方に一つの店が見えた。



「カン、パネラ…?」

その店にかかっている看板を目を細めて読み上げる。
小さめで実にシンプルなその店は、言われなければ分からないような場所に建っていた。こんな所に店なんか建てて、人なんか来るんだろうか。リョウは、先程から頭をチラついていた疑問をテッドに投げかけた。

「…何の店だよ、此処。」
「まぁ、それは入ってからのお楽しみ?」
「…何で疑問系なんだよ。」
「ちなみに早く出たのは此処に寄るためな。」

テッドはそう言って面白そうに笑った。そして、慣れた手つきでその店のドアを開く。
ふわりと、風鈴草の甘い香りが鼻先をかすめた。







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