「すみません。お昼ご飯まで。」
「いいえ。気にしないでくださいな。」
シャーラさんはブロンドの髪をゆるやかに揺らして、そう微笑んだ。
5.紅石〜イーグル・ブラッド〜
「それに、あの娘が言い出したことですしね。本人も喜んでますわ?」
ねぇ?とシャーラがティアラに向かって微笑む。
パンを取ろうと小さな手を伸ばしていた手がとまり、ティアラはリョウに向かって、とびきりの笑顔を見せた。
「うんっ。私、リョウお兄ちゃん大好きだもん。」
そう言ってニコリと笑った。
「ほらね?」
「そっか。ありがとう、ティアラ。」
その様子をみてシャーラはクスリと笑い、リョウも笑って素直に礼を述べた。
そんな和やかな風景のなか、父親似なのか癖のある黒い髪の少年はむすくれた表情でサラダのトマトにフォークをつきさした。
「それにしても、何処に隠れてたの?ティアラのヤツ。オレが家中探したけど全然見つからなかったのに。」
「私、隠れるの上手だもん!!」
どこか納得のいかない様子で黒髪の少年―――もとい、ティアラの兄であるロードが尋ねるのを、ティアラが楽しそうに返す。
その二人をにこにこと笑ってシャーラは見ていたが、ふと困ったような表情を浮かべてぽつりと呟いた。
「でも、あんな所に部屋があったなんて。」
「シャーラさんもあの部屋をご存知なかったのですか?」
「えぇ、全然。死んだ主人だってそんな事一言も言わなかったし」
――それにリョウさんみたいに神隠しと言うことも、今までは無かったですから。
少し冗談めかしていうシャーラに、リョウはあいまいな笑みを浮かべた。
“神隠し”というのは、リョウがあの部屋に落ちる前に声をかけたメイドがことの発端であった。先ほどまで目の前にいたはずのリョウが消えたことにパニックを起こして、神隠しだと叫びまわったのだという。
そして、その噂はたちまち屋敷中に広まっていき―――ティアラの捜索とともにリョウの捜索も行われていたとか。
「本当にご迷惑おかけしました。」
「いえ、娘を見つけてくださったんです。こちらがお礼を言わなくては、ですよ。」
そう微笑むシャーラの隣で、さきほど取り損ねたティアラのパンを取ろうとした手がグラスに当たった。
カシャンッ
そして、小さく音を立ててグラスが倒れ、転がり、床に落ち、割れた。
赤い絨毯にみるみるうちにしみがひろがってゆく。
「はぅっ!!ごめんなさい、お母さん。」
「あらあら。アニキスを呼んでらっしゃい。ロード、危ないから破片に触っちゃだめですよ。」
「はーい!アキニス!拭くものー!!」
「あらあらぁ。お嬢さまったら、こぼしちゃったんですか?」
ティアラが隣の部屋にかけていくと、リョウにも聞き覚えのあるのんびりとした声が聞こえた。
そうして、ひょっこりと顔を出したのはティアラとアニキスと呼ばれた、リョウについて“神隠し”と広めたあの危なっかしいメイドだった。
アニキスはリョウの顔をみつけると、あ!と小さく声をあげて、申し訳なさそうに笑いを浮かべた。
「リョウ様。すみません、神隠しだなんて…わたし、混乱してしまって。」
「構いませんよ。いきなり、いなくなったら誰だってそう思うだろうし。」
「そうだよ!リョウおにいちゃんはいきなり落っこちてきたんだもん!」
ね?という、ティアラの笑顔がリョウの傷口をえぐった。
「今日は本当にお世話になりました。」
出口の門でリョウが深々とお辞儀した。
見送りはシャーラとティアラだ。ロードも行くと言っていたが、ヴァイオリンのレッスンの時間だとかで渋々とアニキスに引きずられていた為に、遠くではヴァイオリンの上手いのか下手なのか微妙な音が響いている。
「いえ。本当にお礼を言わなければならないのはこっちですわ。娘を見つけてくださって本当にありがとうございました。」
「お兄ちゃん!また来てね!!」
ティアラが、腰元にぎゅーと抱きついて、可愛らしく笑った。リョウはそんな彼女の頭を撫でて、笑い返す。満足したらしいティアラが離れた後に、リョウは一礼して帰ろうとした。
「では、失礼しま――あ、シャーラさん!!」
だが、その言葉はそこで違うものとなった。
思い出したのだ。ひとつ、尋ねた方がよいことを。
いきなり振り返ったリョウに、シャーラはその青い瞳を見開いてから、ゆったりと微笑んだ。
「何でしょう?もしかして、忘れ物ですか?」
「あ、えっと、そうじゃないんですが…。」
何やら、言いにくそうに苦笑いを浮かべているリョウの目線の先には、きょとんとした表情を浮かべたティアラ。
シャーラはそのことに気づくと、何やら分かった様子で――――微笑んだ。
「さぁ、ティアラ。お願い、してもいいかしら?」
「何、お願いって…?」
「リョウさんがね?忘れ物をしちゃったらしいのよ。」
そういって、すばやくリョウに目配せする。そしてリョウの方もシャーラの意図に気づいたようで、慌てて笑みをとりつくろうとティアラに微笑んだ。
「そ、そうなんだ。ゴメンね?」
「あ、わたし分かった!!それを持ってくれば良いんでしょ?」
はい!と両手をあげて、尋ねるティアラにシャーラとリョウは頷く。
それをみたティアラは、“待ってて!すぐにとってくるから!”と、家の方に駆けていった。
その後姿をみて、リョウが申し訳なさそうに謝った。
「わざわざ申し訳ありません。でも、僕は忘れものは――――」
「大丈夫ですよ。きっと、少ししたら何を忘れたのか聞きに戻ってきますから。」
“教えてないでしょう?何を忘れたか。きっと五分くらいで戻ります。”と付け足して、シャーラがイタズラっぽく笑った。
リョウはその言葉に目を見開く。そして、クスリと小さく笑うと。一つ息をついて真剣な顔をつくった。
「そうですか。で、本題なんですが――」
「報酬の件でしょう?ゴメンなさい、すっかり忘れてしまっていて。」
「え?」
そう言うシャーラにリョウはポカンとしてしまう。そういえば忘れていたが、そうではないのだ。否定するように、慌てて言葉をつむぐ。
「あ、あの、そうじゃなくてっ!!」
「あら?でしたら―――なんのことでしょう?」
次はシャーラがポカンとする番だ。てっきり、報酬のことについてだと思っていたシャーラが尋ね返す。
リョウが聞きたかったのは、報酬のことではなく、自分のポケットにあるもののことだ。リョウはポケットを手で探り、その“あるもの”を取り出した。
「コレ、なんですけど。」
その取り出したモノを手のひらにのせてシャーラに差し出す。その“あるもの”は太陽の光を受けて、いっそう赤々と輝いていた。
―――そう、あの石だ。
「これは――」
シャーラが目を見開く。その顔には相当な驚きが浮かんでいることがリョウには分かった。
「あの部屋で見つけだんですけど、ティアラに言ったらあげるって言われちゃって。こんな高価そうなものですし、実は大切なものだったりするんじゃないですか?」
リョウがおそるおそるそう尋ねると、シャーラの顔は驚きを色濃く残したままで、その瞳はあの石だけを捕らえていた。
小さな沈黙が、二人の間に訪れる。遠くで上手とはいえないヴァイオリンが響いている。
「ティアラが、貴方にと…?」
たっぷり、数十秒黙ったのちのこと。やっとシャーラが口をひらいた。
それと同時に目線の先に“石”からリョウへと移り変わる。青い瞳が、じっとリョウを見据えていた。
「はい。お兄ちゃんに持ってってほしいって、言われて――それで。」
「そう、あの子が――」
それを聞くと、シャーラはどこか納得したように、目を閉じて、呟いた。
そうして、ひとつ息をつくと、シャーラはリョウが差し出しているその“石”に手を伸ばした
≪ イヤダ…ッ!! ≫
頭の中で、声がした。
その瞬間、突然にその石を手放したくないと言う衝動に駆られた。
そう、あの部屋で最初に石を見つけたときと似たような―――妙な感覚にリョウは捕らわれていた。
しかし、そんなことは出来ない。持ち主の元へ、返さなければならない―――
今、ひらいている手を握って、この石を自分の手中に収められたらどんなに良いものか。
そうしたい衝動をギュッと目をつぶることで抑え、シャーラが石を取るのを待った。
シャーラの手がゆっくりとリョウの手に触れる―――
「ならば、貴方にお持ちいただいても、よろしいですか?」
シャーラはその手でリョウの手を包み、もう片方の手でリョウの手を石ごと握らせた。そう、リョウが望んだように。
「それは、貴方に持っていただくべき物です。よろしければ、こちらからも是非!」
そう言って、ぎゅっと手を握るシャーラの笑顔は、先程までと全く同じ、屈託の無いものだった。
「でもっ!!」
「ご遠慮は無用ですよ?持ち主がそう言ってるのです。お気になさらないで?」
リョウは戸惑った。そうは言われても本当に貰っていいものかと。
恐る恐るシャーラの顔を見てみれば、当の本人はにっこりと微笑んでいる。それを見て少しは安心したものの、やはり貰うのは気が引けた。
しかし、石が欲しいと言う気持ちは先程からどんどん強くなっている。先ほどよりは弱まったが、その想いはいまだやむ気配すらみせない。
リョウは自分の手を見つめたまま悩んでいた。そんなリョウを見て、シャーラはパンッと手を打って微笑んだ。
「じゃぁ、こうしましょ?これを報酬の足しにしてくださいません?――今は持ち合わせが少ないものでして。」
駄目かしら?と。そう言って、シャーラが軽くウィンクした。
リョウはそれを聞いて、報酬なんて!と断ろうとしたが、シャーラの真意を読み取って、クスクスと笑いはじめた。
「……シャーラさんには敵わないです。」
「まぁ、嬉しいわ。これでも駆け引きには自信があるの。」
その言葉にリョウが吹きだして笑えば、つられる様にシャーラも笑った。
「お母さぁーーんっっ!!」
その時、シャーラの後ろから声が聞こえてきた。リョウが後ろを覗き込みシャーラが振り返れば、ティアラが駆けてくるのが見える。
「リョウお兄ちゃんの忘れ物ってなあに…?」
はぁはぁと息を切らして聞くティアラを見て、リョウはシャーラの方に顔を向けた。ふいに腕時計に手をやれば、先ほどのシャーラの発言から約五分ほど経っている。
「ほらね?」
「…ホンットにシャーラさんには敵いませんよ。」
2人はそう言うと、またお互いにクスクスと笑った。
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