海ばかりのこの世界で数少ない陸地――そして、唯一の大陸にある王国ヴァインベルド。
双頭の鷲はその東部地方に棲んでいる。
この国は大まかに西部、東部、北部の三つに分けられているのだが、その中で最も治安が悪いのは東部だ。
北部については不毛地帯だから殆ど人が住んでないっていうのが実情なのだけれど

―――その話はまた別の機会にすることにして。

僕らの世界には一応四季があって、春と秋が長くて夏と冬が短い。
まあ、つまり温暖はあるもののそれなりに気候は安定してるってわけだ。
今このときの季節は……まあ、春前ってところだろうか。日は暖かいが風は冷たい。

そんな中を僕は追いかけられながら全力疾走中だった。













「止まれっ!!そして、ただちにそれを返せ!!」


穏やか――とは言いづらい昼下がり。人通りのない薄暗い裏路地のできごとである。
上で猫がにゃぁと小さな欠伸をする大きなダストボックス。
その前を二人のスーツ姿の男たちが何かを追いかけながら走り抜けていった。

ヴァインベルド王国の東部は治安が悪い。
外に出たらすぐ殺される!なんてことはないし、普通に生活することはできる。
“悪い”と言ってしまうから少し誤解を招くのかもしれない……緩い?それも違う気がする。

「……止まれって言われて止まるくらいなら、最初から逃げないって、のっ!」

彼らの十メートルほど先で、“追いかけられていた何か”が大きなゴミの山を飛び越えた。
ゴミを漁っていた野良犬は鬱陶しそうに彼らを見てから、残飯漁りに戻る。

東部は公衆衛生機能がないわけではない。
基本的には下水等もきちんと機能しているし、病院等の施設もきちんとおかれている。
一部、スラムのような場所もあるものの、ごくごくフツーの庶民がフツーに暮らせる場所だ。
ただ、地面にモノを置いておいたとして場所によっては取られても文句が言えなかったり。
はたまた、とても高価なものを置いておくときはきちんと警備をつけておかないと文句が言えなかったり。

「止まれと言っているんだ!!」
「今なら刑務所に突き出すぐらいで勘弁してやるぞ!」
「そしたらアンタら一緒に捕まっちゃうんじゃなーい!?」
「東部の警察は金をだせば、殺人事件以外は黙るからな!」
「アンタらサイテーだ!!」

――くそう、金持ちなんか嫌いだ。
というような表情をした子供が、男に追いかけられて路地裏を疾走していたりはするのだけれど。
まあ、治安が悪いといっても生活レベルは中の下くらいといっていいだろう。

そして、大人二人を相手どって路地裏を全力疾走するこのこの子供。
名はリョウ・シルセディア。
アッシュブラウンの髪と同じ色の瞳。
顔を隠すように帽子を深く被っており、体は細身で背は中くらい。
で、そのリョウ・シルセディアが何故、追いかけられているのかというと―――


「――――げっ。行き止まり!?」

――それは、リョウの仕事が深く関係している。
右の路地へと曲がったリョウの目の前には道を塞ぐようにドラム缶の山。
リョウは幼いころから東部の街で育ったこともあり、地の利がある。特にここら辺は庭のようなものだ。
だが、目の前に積み上げられたドラム缶の山は、いつもなら無いはずのものだった。
つまり、完璧に想定の範囲外。リョウの頬を冷や汗がつたった。

少しづつ、足音が迫ってくる。
引き返すなんてことをすれば、確実に捕まるだろう。
そして、彼らの言うとおり刑務所送りにされるのは間違いない。
現行犯で突き出されれば、腰の重い東部の警察だってどっこいしょと動いてしまう。
しかし、リョウはさきほどの申し出を断っているのだから、それ以上のことも想定しなければならないだろう。

「――っ!!何で、今日に限ってこんなモンがあるんだよ!?」

リョウが少しイラつきと焦りが混じったような表情で叫ぶ。
後ろの足音がだんだんと近づいて、もうそこまで来ているのが分かった。

「先が行き止まりだとは、不幸だったな小僧!!」

はーっはははっ!!と嫌な高笑いを響かせて、二人のうちの一人がこの路地へと来た。
いい大人が自分より十以上は年が下であろう子供を追い詰めて高笑いするというのもどうだろう。
まあ、そんなことは別にして――彼らは少し息切れているが、まだまだ体力があるように見える。
腐ってもガードマンということだった。

「だから、南部関係の仕事は嫌いなんだよな。金持ちって困るよ」

だが、嫌そうに顔をゆがめたリョウはいざとなればこの男達を真っ向から倒すプランも考えていた。
そして、リョウはそれはさして難しいことではない、とも考えていた。

「これで、もう鬼ごっこは終わりだぞ小僧!!」

だが、それはその男一人であればの話。
先程の男に続きもう一人のスーツの男も路地へ入ってきた。
そんな彼は、いたいけな子供を追い詰める鬼Bとでも称すとなんだかしっくりきた。

――いや、漫画に出てくるお決まりの悪役っぽいかも。

場違いな言葉をどうにか飲み込んだリョウ。
しかし、そんなリョウにとってこの二人を倒してこの場を乗りきることは不可能ではない。
一人よりもリスクは上がるものの、そう――不可能ではない。

だが、あえてそれをやらない。理由は三つ。

一つ目。フツーに危ない。怪我するかもしれない。
二つ目。そんな事をして大きな騒ぎにでもなれば大変――仕事上の理由、目立つのは避けたい――。

そして、三つ目は―――


「そんな面倒なことやってられないよ。疲れてるのに」

これが三つ目の理由。
はっきり言って、心の中で一番強い主張をしているのはコレである。
そんな思考を脳内ではりめぐらせている間に男達はジリジリと迫って来た。
前には男が二人――後ろにはドラム缶の山――リョウが導きだす答えは、一つだった。


「こういう時は、安全かつ楽な方を選びましょう」


帽子を更に深く被りなおして、誰に言うでもなく呟く。
そしてくるりと男達に背を向けると、高い高いドラム缶の山をみすえた。
茶色の瞳が鋭くドラム缶を見据えたまま、一歩、二歩と足を下げ、ドラム缶の山から距離をとる。

程良い距離。そう、それは助走をするに必要な距離――



トッ トッ タンッ



思いっきり地面を蹴り飛ばして、リョウは飛んだ。軽い音が、路地裏に響いた。
わずかな助走をつけただけだったが、その身体は軽く、安定感のありそうなドラム缶の上を選び着地する。
積み上げられたドラム缶がすこしだけグラリ、と揺れたもののどうにかバランスをとって持ち直す。

「………なにっ!?」

その光景を二人組は呆然と見ている。まさか、この子供にこんな事ができるとは夢にも思わなかったのだろう。
開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。
静止の言葉をかけることもできずに、そこに響き渡る音は、リョウがドラム缶からドラム缶へ飛び移る音だけであった。

「―――よっと」

そして積み重ねられたドラム缶の頂上に到達した時。

「お、おい!!待たないかっ!!」

やっと我に帰った二人のうち一人が下で騒ぎ始める。
待つわけないだろ、とでも言うような鬱陶しそうな表情を浮かべていたリョウ。
しかし何かを思いついたようで、下の男たちと自分の足もとを何度か身比べ、口の端をニィとつりあげる。
それはもう、楽しそうに。
そこに浮かんだ表情は、小さな子供が悪戯をするときのものに相違ないだろう。

「バイバイ。おじさん達」

そう言って、細い身体は男たちのいない方へ勢いよく飛び降りた。
さぁ、ここで簡単なクイズを出そう。
リョウが“勢いよく飛び降りた”のは、“絶妙なバランスで積み上げられたドラム缶の山”である。
そのてっぺんから“勢いをつけて飛び降りた”のだ。まるで後ろ脚で蹴るかのようにして。
そんな衝撃を受けた“絶妙なバランスで積み上げられたドラム缶の山”はいったい、どうなるだろうか?

―――路地裏に、大きな騒音と男たちの叫び声がこだました。



 





夕暮れの日が、窓から差し込んでくる。

東部の中の治安をA、B、Cでランク付けたらリョウの住んでいるところはBマイナスというところだろうか。
可も無く不可もなく――ただし、Aランクのところよりは警察の腰は重め。
というよりも、東部の軍警察は腐敗しているとまでは言わないものの基本的に腰が重い。

面倒なことで住人同士で解決できるものは自分でやれよ、というのが彼らの本音なのだ。

窃盗?盗られた奴が悪い。大事なモンなら肌身離さず持っておけ。
暴行だ?ンなことされるような危ないところに行ってんじゃねえよ。男だろ、喧嘩しろよ。

これが東部軍警察である。
ちなみに殺人や婦女暴行、かなり大きな犯罪組織や暴力団の摘発等にについては、
いくら腰の重い東部警察といってもその腰をあげる。ギリギリの良心である。
ただ、――後者の犯罪組織等については、警察本部である南部警察の介入及び指示がほとんどだが。

東部で大きな事件が起きた時、解決した手柄は南部、起こった事件の後始末は東部ということが多い。
それゆえに東部軍警察は南部軍警察を好いていないが、悲しいかな権力――
どうしても南部警察の方が権力が強いのだ。鍛えられ方自体も東部の比ではない。
そんなこともあって、東部の軍警察はちょっぴりやる気がないか、大手柄をたてて南部に行きたがるかの二択。
そんな彼らとしては細々した市民事件はあんまりマジメに取り扱いたくないようだった。
まあ、だからといって結構窃盗がまかり通るのはどうかと思うのだけれど。

……とはいえ。基本的に富裕層は南部にいるので、そんなたいそうなものが窃盗されることは少ない。
だが、例外もある。
たまたま庶民が持っていた――由緒正しい先祖伝来の家宝が、実はとんでもない値打ちものだったり。
それを聞きつけた富裕層はどう思うだろう?そんなものは庶民にはふさわしくない!と思うわけだ。
そして、奪い取る。方法は力づくだったり何だったりと様々だが、大体は不本意な形で奪いとられる。

しかしながら相手が南部の富豪貴族となれば、東部の警察はあまり動きたくないのが実情。
警察に訴えても地位の低いものなら門前払いをくらったり、むしろ警察の中には富豪に買収されたりする。

それなら――東部で誰が動くかといえば、リョウ・シルセディアのような「便利屋」が動く。
依頼人から頼まれた仕事なら例外を除いては種類を問わず多く引き受ける便利屋。
そして、今日のリョウの仕事はまさにそれ――家宝の奪還であった。
今回は無事に南部の富豪さんから依頼人に頼まれた物を奪還し、待ち合わせ場所であった場所でその“物”を渡してきた。

今日もいい仕事したなぁ、なんて一人呟きながら家に帰りついたリョウ。
まあ、その「いい仕事」というのは良心てきなものではなく、ワリにあう報酬だったという意味だが。

「ああ、……もう、夜になるな」

小さいながらも大事な我が家の壁を撫ぜながら、沈む夕日の光が差し込む窓へ寄る。
質素な白のカーテンに手をかけながら覗いた外は、綺麗な夕日色に染まっていた。
こういう空をみると、リョウは思い出す。三年前にみた、大きな大きなオレンジ色の夕日を。

「もう三年になるんだな……」

苦笑い混じりに零した言葉は、広すぎる部屋に――いや、家全体に小さく響いたようでもあった。
それを感じてか、口元に手をやって更に苦笑いを深める。
何とも自分らしくない感傷だと思った。

「……眩しい」

街を夕日色に染め上げる光。
それを受けて、リョウは眩しさで目を細める。だが、そこから目を逸らそうとはしなかった。

「――流石に、この家に一人ってのは広すぎだよなぁ」

ゆっくりと目をつぶり、一人そう呟く。
目をつぶっても、暖かい夕日は感じることができる。
この世にあるものは、存在する限り、遠くても感じることが出来るんだよ。感じようと思えばね。
そうやって言ったのは誰だっただろうか。

それを思い出そうとすると何だか切ない気持ちになって、また苦笑いを浮かべる。
そんなリョウの姿に、つい先程までの勝気な様子は、微塵も感じられなかった。

「     」

リョウは小さく呟いて、閉じていた目をひらく。そうして、右手でカーテンをひいた。
幕引きをしよう。この眩しすぎる夕日にも、自分らしくない感傷にも。





協会のカリヨンベルが響いた。

それは心地よい響きを伴い、リョウの頭の中にしずんでゆく。

―――始まりの、鐘だ。

誰かが、どこかで、そう呟いた気がした。








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