暗闇の中でこそ輝くもの。

暁の空の果て。

雲陰る夜空の間。

さざなみの揺れる青藍の海。



そして、

満月に照らされ、神々しく煌く銀翼の翼―――――














夜の海に声が聞こえた。

悲しみと渇望を詠った、澄み切った詩(ウタ)が。






求めずとも失う 求めすぎては遠のく
ただ 悲しみの果てのごとく
紅蓮の炎に身を焼かれるごとく
淡々とした痛みだけが ただこの胸に残るのみ






娘は詠い続ける。

瑠璃の瞳が見つめる先は、ただ遠く、遠く、遠く。

悲しみの宿る瞳は頬でなく、心に僅かな雨を降らせながら。






差し伸べた手に光は無い
この暗闇の果てにある静寂とともに消えた
落とされた谷底に希望は無い
透明な空でさえもただの漆黒と化すこの場所で






月光に照らされた琥珀の細い髪を風に遊ばせ

青藍の海面に足先だけを浸しながら

銀翼の翼をはためかせて

娘は、遠い天上に届くはずのない詩を詠った。






何を望めばよいというのだ
望むものには もう逢う事すら叶わない
傲慢な思いなど抱いたこともないというに
それでも 声が届くことは無かった






海浜に静かな波の音だけが漂った。

琥珀の髪をなびかせていた風がやわらかに吹く。

風が心地よく娘の頬を撫でる。

波さえが、この時ばかりは止まっていた。

娘は音も立てずに銀翼の翼をはためかせて、

大きな瑠璃の瞳を伏せた。






「ほう。貴様が神に追放されたという“光の使徒”か」






波の中に声がする。

漆黒の翼が静寂を破る。

暗黒の羽音が風の合間をぬってやってくる。

青藍の海にもうひとつの陰が浮かぶ。






「光の使徒とは古い呼び名だな。それならばお前は闇の使徒か?」






漆黒の翼が娘を嗤(わら)った。

長くのびた、黒い爪を娘の方に向けて

蒼銀の髪の男は氷のような冷たい笑みを浮かべる。






「それも良かろう。だが、貴様には名など関係ないのだろう、追放者よ」

「追放者、か。そう呼ばれるのも仕方の無いことなのだろうな」






娘も小さく嗤った。

それは男のように何かを嘲る笑いではなく

ただ、ただ、他の誰でもない自分を嘲るような、悲しいもの。






「ふん。だが、俺は知っているぞ。貴様は何も間違ってなどいなかったという事をな」

「何を言う、闇の使徒。追放は我が主が決めたことだ。全て私が間違っていた。それだけだ」

「はっ。追放されてもまだ麗しい忠誠心か。馬鹿馬鹿しい。それに奴はもうお前の主ではあるまい?」






娘が小さく唇を噛んだ。

男がその表情をみて残忍に嗤う。

水面の波音だけが、静かに、彼女に寄り添っていた。






「だが、お前は何も悪くない」

「何を…」

「お前は神を裏切ってなどいない。お前は追放されるべき者などではない」

「いや、あれは私が悪いのだ。私が我が主を裏切ったのだ」

「俺は知っている。隠すなど無駄なこと」

「………」

「お前は裏切ったのではない。むしろ助けたのだろう?」






暗闇が嗤う。






「なのに奴はお前を裏切り者と罵り、追放した。お前に命を助けられたのに、だ」

「………」

「お前は叫び続けたのに、奴は聞かなかった。お前に助けられ、生きている奴はな」

「………だったら何だという?お前には関係ないことだろう」






娘は瑠璃の瞳で二度と戻れぬ天上をみつめた。

届くことのない思いを抱え、

追放されて、戻ることのない娘はただ悲しみにくれることしかできない。






「あぁ、確かに俺には関係のないことだ」

「ならば失せろ。もう十分に私のことを嗤っただろう?」

「俺の目的はそんな事ではない。お前を誘いに来たのさ」







「………誘い、だと?」






風が、大きく吹き荒れた。






「何を戯けたことを」

「戯けてなどいない。純粋にお前が欲しいのさ」






水面が騒ぐ。














「助けた者に罵られ、追放されても、まだ主を想うか?」

「…黙れ」

「奴は無実を泣き叫んだお前をいとも簡単に追放したのだぞ」

「………黙れ」






全てが、耳を傾けるなと騒ぎ立てる。






「お前は傲慢な思いなど抱いてはいない。抱いたのは目先の出来事に囚われた奴の方さ」

「ええぇぃっ!!黙れっ!黙れっ!!黙れえぇぇっ!!!」






青藍の海に娘の悲痛な叫び声が木霊した。

風も、海も、全てのものが呼吸を止める。
















「俺の元へ来い、“追放されしフィラン=ディシール”」






娘の瞳は揺れていた。

誰にも理解されなかった悲しき娘。

その心は、甘く甘美な囁きに惑わされていた。






「私に、堕ちろというのか?」

「そうだ。私の元へ来い。俺の力なら痛みすら感じないさ」

「――――――お前、まさか…っ」






男が狂気めいた瞳で残忍に笑う。

漆黒の翼には他とは違う神々しい煌きがあった。






「貴様が“光の使徒”と名乗るなら、俺は“闇”。お前が“天使”と名乗るなら俺は“冥王”か」

「冥界を統べる者ということか……」






風が怯える。

海が涙を流す。

だが、娘はその瑠璃の瞳にしっかりと男を写していた。


もう、その心に揺るぎはない。






「分かった。お前と共に行こう―――気まぐれな冥王よ」






冥界からの誘いは甘く甘美。

だが、それは破滅の道。

もう、後には戻れない―――――















銀翼の翼が、漆黒の翼へ

聖なる烙印が、邪悪なる烙印へ

天使が、堕天使へ――――――

















青藍の海が泣いていた。

柔らかな風が泣いていた。

何が間違っていたのかと。

あの優しい娘は何処へ行ってしまったのかと。




憎むべきは、“神”なのか“冥王”なのか、と―――
――――――――――――――― 配布は終了いたしました。